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The Candied Sore

The Candied Sore

[EP1以前からEP2終了後までのどこかに位置する新年。こんな未来もあったのかもしれない。前半はお菓子のように甘いです(普通にでか様なのでご注意を)。後半はJr.だけ糖分控えめ。年賀状を頂いた方々への御礼!]

「道端」のきささんに描いて頂いた年賀状絵をペタッと貼っちゃいました。無理を承知で大人三色!きささん、本当にありがとうございました!
 
2009年賀状






 3...

 2...

 1...


「バン!」

 銃を象るしなやかな指が、Jr.の赤い後頭部を突いた。
「何すんだよ、アルベド」
 不機嫌を顔一面に乗せて振り向いたJr.は、宙に浮いたアルベドの指を加減なく掴む。同じ高さで触れ合った二人の指先は、真冬の冷気で赤い。
 クーカイ・ファウンデーションの26市街区画――飲食店等の商業施設が所狭しと軒を連ねるダウンタウンは、クリスマスを過ぎても賑わいを増しており、二人の青年はそのメインストリートから折れた細い路地沿いの一角にいた。表通りの小奇麗な店並みと異なり、建物に圧迫された薄暗い路地裏には、ジャンクショップと見間違うほど個性的な店舗が絶妙のバランスで並列している。軒並みに組み込まれたチャイニーズ・レストランで、その店先に佇む彼等の紅白に彩られた頭髪を、通り掛かりの老婆が「新年から縁起が良いねぇ」と礼拝して行った。
 表通りから雪崩れ込む人々のざわめきが、彼等の周囲を木枯らしの代わりに吹き抜ける。くん、と凍えて鼻を鳴らすJr.を気怠そうに眺め、無気力の塊に見えるアルベドが口を開いた。
「今、世界が終わった」
「はあ?」
 チェックのマフラーを巻いたアルベドと、ファー付きダウンジャケットを着たJr.の口元から、柔らかな白い吐息が湧き上がり、空気中で絡み合う。束の間、ざわめきの残り香だけが路地を駆けた。
「そのモーブの眼、腐ったのかよ。お前が大人しくしてりゃ、馬鹿みてぇに平和な世の中が続いてんだろ」
 寒空で温もりが空中に溶けた後、Jr.は大仰に溜め息を吐きながら、諭すように両手で周囲を指し示した。アルベドは無言のまま表情を変えない。ただ、Jr.に掴まれていた右掌で揉み潰され、クシャクシャになった一枚の紙片を、彼の眼前へと差し出すだけだ。紙面には文字が書かれている。

『世界は4分33秒後に終了します。ログアウトして下さい』

 掌にある紙片の文面を凝視した後、Jr.は細めていた眼を点滅信号のように瞬かせた。
「ここで食ったフォーチュン・クッキーの占い紙じゃねぇか。お前もしかして、これ見てからずっと数えてたのか? 4分33秒も、真剣に?」
 唖然としてインディゴの眼を丸くするJr.の様子に、アルベドはようやく満足気な笑みを見せた。陰鬱で虚ろな眼も、悪戯が成功した子供のように煌めく。硬く筋肉質な身体はカーディに近い長めのニットコートに内包されており、それは長身の弟を僅かに稚(いとけな)く見せていた。
 自分の反応を面白がる彼の反応を目の当たりにし、Jr.も頼りなく苦笑した。笑いながらアルベドの掌からフォーチュン・クッキーの紙片を取り上げ、キャンディーのように自分の口元へと運ぶ。
 紙片と言っても、本物の紙ではない。デンプンで作られたオブラートをより紙に近付けるため加工したもので、現在では駄菓子の包装等に利用されている。保存も可能だが古代のオブラートと同様に食しても害はなく、仄かな砂糖の甘さが子供達の間で人気を博していた。
 Jr.の口内へ放り込まれた占い紙もまた甘く、舌の上で滑らかに蕩ける。世界の終焉はJr.の喉奥に溶けて消えた。
「つまんねぇジョーク。ニューイヤーだってのに不吉だな、アルベド」
「お前ほどじゃないさ、ルベド」
「んだと、コラ」
 唇を舐めながら鼻で笑ったJr.に、アルベドは全く同じ表情で嗤い返した。それを半分本気になって睨み付けるJr.の背後で、レストランの傾いた扉が軋みながら開く。扉の上部で乾いたベルが鳴った。
「いい加減、兄弟喧嘩で流血沙汰は勘弁してくれよ。二人共、俺より年上なんだ」
 両開きの扉から暖簾を潜って出て来たのは、三人分の会計を済ませたガイナンだった。呆れ顔で二人の兄を嗜めた彼は、店内と外気にの温度差に肩を竦める。
「その服、赤に染めてみろ。これから会うシトリンの小言も長引くぞ」
 降雪予定のコロニーの天蓋は曇天に設定され、薄雲の狭間から人口太陽の照明が射し込んでいた。路地を歩き出した三人の中央で、Jr.はジャケットに突っ込んだ両腕の張り、残念そうに空を見上げる。
「おっと、説教なら旦那にも食らっちまうからな……にしても、妹がいないと華がねぇ。大の男三人で寂しくランチだなんてさ」
「お前は女に飢えてるからなぁ、ルベド」
「るせぇよ」
 横から飛んで来たアルベドの野次に、Jr.はすぐさま反論した。それでも、彼が愉快気に歯を見せて笑む様を見れば、Jr.の立腹などいとも簡単に転倒してしまう。結局、赤い頭髪を乱暴に掻き毟るほどの抵抗しかできないのだ。
「飢えてはねぇっての。大体な、俺だってお前等と同じ顔してんだぜ? それなりに上手く……」
「そうだな、口説くのは上手い。そこから先が下手なだけだ」
「ほっとけ!」
 ガイナンには冷静に事実を指摘され、Jr.は自棄な調子で吐き捨てた。
 髪の長さや瞳の色、ファッションセンスなどは各々異なるものの、基本的にDNA単位で同一の顔を持つ兄弟だ。容姿のみでの三人の評価はいずれも比肩している。しかし、ファウンデーションでの女性人気のトップはガイナンの独走状態、アルベドはアルベドで男女共に憧れる者が多い。どこで差が出るのかと言えば、その美麗な容姿から抱くイメージを一掃するほど強烈な、個々の外的人格だろう。要はガイナンという男の内面が、外面とセットで女性の理想に最も近いのだ。
 必ずしも自分がモテない訳ではない、と思うものの気落ちする兄の背に、ガイナンがたまらず苦笑する。
「たまにはいいんじゃないか」
 前を行くJr.の横に並び、同じ背丈の肩に手を乗せる。首に巻いたストールより身体に沁みる兄の熱に、凍えた硬い手が解れてゆく。それは、念話の子守唄よりも心地良い流動の感覚だった。
 ガイナンの穏やかな声音と微笑に、隣にあるJr.の顔もまた、湯に浸るように綻んだ。
「まあね、俺もニグレドとは久しいし。兄弟全員、揃うのも珍しいよな」
「四人共がファウンデーション所属とは言え、各々所管するセクションがあるんだ。仕方ないさ」
 あくまで経営者たるガイナンの意見に微笑み、Jr.はコロニーを何気なく見渡してみる。
 メインストリートに程近いこの路地裏は、飲食店のダストボックスやアパートメントの掲示板、窓から窓に張られたロープではためく洗濯物など、人々の生活観で溢れ返っていた。ニューイヤー用の番組を流すテレビの音や鼻腔をくすぐる食事の匂いが、縦に広い路地裏の空間に充満している。
 アパートメントの二階の窓から外を眺めていた少年は、移動するJr.の目線とぶつかった途端、嬉しそうに両手を振った。それにJr.が爽やかな笑顔で応じると、少年は慌てて部屋の中へと引っ込んでしまい、部屋の奥から「ママァ、下にガイナン様とJr.兄ちゃんがいるよ!」と叫ぶ甲高い声が聞こえた。
「いつの間にかデカくなったな、クーカイも」
 伏し目がちな眼差しで、Jr.は呼吸ごと噛み締めるように呟く。
「休暇をプレゼントしてくれたヘルマーには、何から何まで感謝してるぜ。ま、向こうも今日は羽を伸ばすとか言ってたし、今頃はこっちが預けた愛娘二人と第二ミルチアでショッピングかな」
「シェリィとメリィか。ブランド物を強請る姿が想像できるな」
 二人で顔を見合わせると、どちらともなく緩やかに笑う。以前から通い慣れたダウンタウンで迷路のように入り組む路地を、Jr.は今でも迷うことなく自分のペースで進んで行けた。ガイナンもまた、緩やかな彼の歩幅に意識する必要なく合っていることが心地良い。当たり前が至福だった。
 二人より先にメインストリートへ足を踏み入れていたアルベドは、順序良く流れる人の波などお構いなしに街並みを観察していた。マイペースに停止や方向転換を繰り返すため、人混みは彼の周囲だけ絡まり合った糸屑のように混雑している。その人々の注意や文句も全てを無視しているアルベドは、ストリート脇で唄を歌うミュージシャンに無茶なリクエストをしたり、街頭で実演販売する極彩色ヌガーの試食品を食べてみたり、大道芸を披露するピエロの鼻を摘んだりと、好き勝手な振る舞いを愉しんでいた。
「おい、アルベド! 一人でウロウロすんな。シトリンとの待ち合わせ場所は、リベルダージ地区のリトル・ジャパンにある大鳥居だ。そっち行くと25市街区画のサウス・ベイ地区に入っちまう」
 ストリートを気ままに歩き回るアルベドが無料配布の風船を眺めていた時、とうとうJr.の怒号が飛んだ。ドロップのように色とりどりの風船を並べ、「アルベド様は何色がお好きですか? どれでも差し上げますよ」と頬を赤らめながら尋ねていたレアリエンの女性スタッフは、後から追い着いたJr.とガイナンの存在に気付くと、頬のそれを耳朶まで真っ赤に染め上げる。
 白い頭髪に風船の七色を映したアルベドは、流石にJr.の声には反応を示したようで、考え込むように顎を宙へ上げてから、欠伸の出そうな顔で首を傾げた。
「ここは?」
「リベルダージ地区のチャイナタウン。向こうに牌楼(パイロウ)があるだろ? そっからセントラル・アベニューに出りゃ、大鳥居はメトロのゴールドライン沿い歩いて駅のすぐ裏側なんだ。途中、焼鳥屋と寿司屋の間にあるストリート突っ切るのが近道――だったよな、ニグレド?」
「ああ」
 身振り手振りで説明してやるJr.と、冷静に頷くガイナンを交互に見据えた後、アルベドはふいと顔を逸らし、活気に溢れたダウンタウンを見渡した。
「ふうん」
「何だ、気に入ったのか?」
「別に」
「気に入ってんじゃねぇか」
「さあ」
 双方に横柄な態度のため、Jr.とアルベドの会話は進展しないことが多い。今回、先に折れたのはJr.の方だった。解けそうに緩んだアルベドのマフラーを丁寧に直してやり、溜め息と共に肩の力を抜く。
「相変わらず、捻くれてんな。何なら今度、27市街区画にも行ってみるか? あっちにはロスト・エルサレム時代の西洋建築を年代別に取り入れた――」
「ルベド」
「モデル地区が多くて……あ?」
 話の途中で流暢に名を呼ばれ、Jr.は開いた口を塞がぬままアルベドを見返した。長めに垂れる白髪の下で、弟はニヤニヤ笑いを浮かべている。
「やるよ」
 短く一言そう告げると、アルベドは自分のニットコートから何やら掴み出し、Jr.の胸元へ一気にばら撒いた。
 思わず広げたJr.の骨張った両の掌が、瞬く間にそれ等のもので溢れ返る。いつの間に受け取っていたのか、赤い風船の糸まで小指の先に引っ掛けられた。両手を広げているJr.も、隣で傍観するガイナンも、呆気に取られたままアルベドを見つめるしかない。
「おい、アルベド!」
 一通り自分の持ち物を撒き散らしたアルベドは、先程Jr.が説明した通りの道を歩き始めていた。呆けた顔でその後ろ姿を見送っていたJr.は、一瞬の間を置いて我に返ると、自分の掌に目線を落とす。
「これは、街頭で配布していたサンプリングか?」
 横から覗き込んだガイナンは、意外そうな声を上げた。
 周囲から手渡される品を、目も通さずポケットへ押し込んだのだろうか。Jr.の手中には、よくある飲食店の割引ホログラフシートから、女性化粧品のサンプル、子供が喜びそうなチョコレート・ファッジ――とそれを食べた包み紙――、果てはファウンデーション特有の観光ガイドマップやエンセフェロンの体験ソフト、コネクションギア用のプラグインまで積まれていた。ファッジなどはそこへ収まり切らず、地面に幾つか転げ落ちている。
「馬鹿じゃねぇの。こんなん、要らねぇし」
 そう文句を零しながらも、Jr.の顔は締まりなく緩んでいた。自分と全く同じ顔でそういった表情をされても、ガイナンは素直に喜べない。「その顔、頼むから部下に見せてくれるなよ」と兄に念を押す程度で、それ以上は付き合う義理もないだろうと、話題を逸らす。
「それより、具体的にはどういうものなんだ? その、シュラインで催される“初詣”というものは」
「ああ、神社であるセレモニーね。ほら、デュランダルからでもランチ発着場の先に見える派手な社があるだろ。まあ、俺も社寺の参拝は行ったことねぇんだけどさ、スーツで揃える必要はないと思うぜ。要は教会のクリスマスミサと似たようなもんじゃねぇの。どっちも神への祈祷なんだし」
 先程と一転して普段の調子に戻り、Jr.は醒めた眼で淡々と意見を述べる。その様子に一安心したガイナンは、断定的に問うた。
「願いはないのか」
「神様は多忙なんだ。なんせ世界中の人間から願い事を請け負ってる。十字架や仏像の前で順番待ちしてたら、先に一生が終わっちまうよ。だったら、自分で叶える方が遥かに効率的だと思わねぇ?」
 アルベドに手渡されたサンプルの数々をダウンジャケットの中へ突っ込み、Jr.は不敵に笑った。それは丁度、チャイナタウン出口の牌楼(パイロウ)を通り抜けた直後で、セントラル・アベニューの向かいで走る鉄道型に設計された最新鋭のエア・トレインが、陽気な汽笛でJr.の語尾を掻き消した。
「ルベド、お前の戯れ言は何て軽いんだ。その手に持つ風船の方が、まだ重いだろうよ」
 アベニューで二人を大人しく待っていたアルベドが、Jr.が仕方なく手に持つ赤い風船を指差し、愉しそうに嘲弄した。Jr.が反論するより早く、ガイナンが「珍しく意見が合うな」と便乗し、赤い風船をノックするように拳で弾く。
「俺達の兄ときたら、まるでこの風船のようだと思わないか」
「ああ、確かにヘリウム並みに沸点が低い」
 揺れる風船を目で追いながら、アルベドは真面目な顔で頷く。
「フワフワと心許ない上、常に張り詰めた人だしね」
「それに真っ赤だ」
「所在不明の神に縋る以外、何ができるだろう」
「破裂して落ちるか、萎んで落ちるか、そのどちらか」
 キャッチボールのように軽やかな会話が、Jr.の眼前を往復していく。
「……少なくとも、生意気な弟共の口を黙らせることはできるね」
 喉奥から唸ったJr.の声は、身体と連動する憤懣で震えていた。二人の弟は足を止め、顔を見合わせる。その二人に対し渾身の睨みを利かせたJr.は、ダウンジャケットに押し込んだサンプルの中からチョコレート・ファッジを幾つか掴み出すと、ご丁寧にも包み紙を破り捨ててから、それ等を二人の口へ乱暴に詰め込んだ。口内というよりは歯列へ押し付けられたファッジに、大の男二人から妙な呻き声が上がる。
 常は口より先に手が出る横暴な兄だ。今回もてっきり蹴りの一つでもお見舞いして来るだろうと予想していた二人は、思わぬ手段に意表を突かれ、珍しく端整な目鼻立ちを崩した。
 二人揃って甘過ぎるほど甘いファッジを口内で転がしていると、
「おら、行くぞ!」
 先を行くJr.の怒声がアベニューの人混みで響き渡る。赤い風船はいつの間にかJr.の小指から外れ、空へと舞い上がってしまったようだ。多少無茶な方法ではあったものの、Jr.が宣言通りに彼等の口を黙らせたことには違いない。二人の弟は無言のまま、兄の後へと続いた。
 緩やかに、軽やかに、上昇する風船の赤は、やがて点となり、曇天から射す光の中へと消える。コロニーの天蓋から、予報通りの雪が降り始めた。頭上に舞い散る雪の一片を、アルベドが子供の頃と変わらぬ瞳で見上げていた。




「最悪やで、ちび様!」
「何だよ、メリィ」
 小ぢんまりとした下町食堂風のチャイニーズ・レストランのテーブルで、メリィは厨房から店主が顔を出すほどの金切り声を発した。今朝方まで年末調整や自分の不始末でデスクワークに追われていたJr.は、寝不足を押し殺した顔で頬杖を付いたまま、隣に座る彼女に気のない返事をする。
 デュランダルの自室で仮眠を取った際、つくづく夢見も悪かった。至福の環境から無慈悲な現実へと陥落する甘い夢は、残虐な悪夢よりも性質が悪い。宙吊りになった希望をどう処理すれば良いのだろうか。
 おぼろげに霞んだ夢を女々しく想起しようとする自分に舌打ちをしたJr.は、ターンテーブルの安定した回転を憎らしげに眺める。テーブル上で回転するフォーチュン・クッキーのカラフルな原色達が目尻に沁みて痛い。
「コレ、見て下さい」
 鬱屈した心情の彼の眼前に、メリィは青いクッキーから取り出した占い紙を突き出した。彼女の指に挟まれた四つ折のオブラートには、黒い文字が刻まれている。

『世界は終末へ向かっています。ログオフして下さい』

「ん? このフレーズ、どっかで見たような……」
 皿から赤いクッキーを一つ取り上げ、トッピングの生クリームを付けながら、Jr.は寝惚け眼で呟いた。しかし、回想で寄せ集めた情報は時が経ち、アルファベット同士を繋げるインクの滲みのように曖昧なものとして浮遊しているだけだ。その中に決定的な文字は見当たらない。頬杖を付いたままクッキーをかじるJr.の行儀悪さに、向かいの席に座るガイナンとシェリィが眉間にシワを寄せていたが、注意はなかった。
 糖蜜でできたクッキーの生地は香ばしい歯応えで、生姜の入っていないジンジャースナップに似ているが、口直しだけあって全く味気がない。生クリームの甘ったるさだけが後に残り、Jr.はクリームに手を伸ばしたことを軽く後悔した。
 胃の凭れから密かに気分を悪くしていると、シェリィの白魚のような指先が彼の口元へ伸ばされる。
「ちび様、口元にクリームが」
「ああ、悪ィ」
 普段なら子供っぽい失態に照れ隠しをする場面だが、それも億劫なほど自分が疲労していることに、Jr.は自分自身で愕然とした。どうにも今日は“Jr.”という人物をコントロールする力が惰弱している。何事にも薄情で関心がなく、醒めた心でしか判断できない素の自分が眠気で搾り出されているようだ。
 Jr.の調子に嘆息するガイナンの憮然とした顔は無視し、恋愛に関する格言を期待していたメリィを、Jr.は普段の調子を取り戻すように茶化す。
「つまんねぇジョーク。ニューイヤーだってのに不吉だな、メリィ。同情するぜ」
 からからと笑ってメリィの肩を撫でるように叩くと、口をヘの字に剥れていた彼女は突如、大きな青い瞳を金色の髪ごと輝かせた。彼女は自分を見上げるJr.に胡散臭い笑顔を見せ、ワザとらしく胡麻すりの仕草をしてみせる。
「うんうん、ちび様もそう思てはりますやろ? せやからウチ、ここはショッピングで気分転換せなアカンと――」
「メ・リ・ィ」
 憤慨と一転して嬉々として提案するメリィを、姉のシェリィが冷たく威圧的な声で制した。Jr.とガイナンまでも身を固めるほど鋭利な視線に、メリィは勢いでJr.の肩を抱いたまま恐々と振り返る。その目尻には薄っすらと涙が溜まっていた。
「うう……冗談やんか、シェリィ。ウチ、ちび様もガイナン様も一緒に、もうちょいだけでも遊びたかってん」
 可哀相なほど項垂れて縮こまりながら、
「……ウチ等は休みでも、二人は昼からもう仕事なんやもの」
 と、メリィはか細く沈んだ声を漏らす。大人になりきれない自分を恥じてか、色白の顔は耳朶まで真っ赤だ。流石の落ち込みに、自分も思うところのあるシェリィもまた、凛とした表情を曇らせた。
 中華鍋に油を引く弾けた音が厨房から響く中、向かい合って座るJr.とガイナンは、二人の可愛らしい我侭を聞き、お互いに笑みを浮かべて目配せをする。
「別に構わないぜ。ヘルマーと会うまで、スケジュールは空いてる。クリスマス休暇に働いて貰った分、俺達の時間と財布が許す限り幾らでも満足させてやるよ。なあ、ガイナン?」
「ああ、日頃の感謝を込めて、是非とも素敵な品をプレゼントさせて欲しい」
 見上げた先のガイナンも快諾すると共に、白い歯を見せて優雅に微笑む。キャンペーンCMのような笑顔の出来栄えには、大抵の女性なら心が揺らぐだろう。
「わあっ、おおきに!」
 メリィはヒマワリのような笑顔を、彼女の周囲の空気も含めて一面に咲かせた。向かいのシェリィにも思わずスミレのような微笑みが零れる。仕事中は常に背伸びする二人の表情が、年相応に瑞々しく色を変えていた。
「流石は女性の憧れ、ガイナン様! 杏仁豆腐を食べはる姿も男前ですわぁ」
「……おい、俺は?」
 隣から聞こえるJr.の声にも気付かず、メリィは恍惚としてガイナンの食事姿に見入った。ガイナンを横から遠慮がちに見上げたシェリィは、藤色の瞳に困惑を映している。
「ガイナン様、あまり甘やかさないで下さいな」
「たまにはいいじゃないか、シェリィ。二人の働きには十分見合う報酬だよ。それに、君達の笑顔が見られるのであれば、どんなブランドも安いものさ」
「まあ、ガイナン様ったら。相変わらずお上手ですこと」
「はは、事実だからね。君達を前にすれば、どんな男も同じ言葉で見栄を張るだろう」
 いつの間にやら会話に花を咲かせる三人の端で、すっかり除け者扱いのJr.は「解せねぇ」と一言漏らし、不服を紛らわすように赤いクッキーの中にあった紙片を開いた。そこにあるはずの内容に、青の双眸が白む。
「あ、ちび様の分はどうでしたのん?」
 無言で紙片を見つめるJr.が密かに口角を吊り上げたことに気付いたメリィは、ガイナンとの会話で咲いた笑顔のまま、Jr.の小さな肩に寄り掛かった。ひょいと顔を上げたJr.は珍しく無表情で、メリィは彼の先程の笑みが見間違いだったのだろうかと考え直した。小首を傾げる彼女を視線に捉えたJr.は、何事もなかったように普段の笑顔になって答える。
「なんにも」
「はい?」
「だから、何も無し。ほらよ、コレ」
 思わず聞き返したメリィの前に、Jr.は自分の紙片を指に挟んで差し出した。不思議そうに彼女が受け取り、向かいのシェリィとガイナンも興味本位で覗いてみると、

「白紙……」

 その紙片には、アルファベット一文字、数字の一つすら印刷されていなかった。
 三人揃って紙片の内容に注目した次は、この白紙を引いたJr.へと三人分の視線が集中する。当の本人は平然としており、水の入ったグラスに唇を付け、最後の一口を飲み干していた。いつまで経っても成長途中の喉仏が、上下に揺れ動く。
「店舗側の不備でしょうか?」
「いや、菓子の製造元は別だよ」
「ウチのクッキーといい、一遍文句つけたろかいな」
 まるで子供を擁護しようとする親のように立腹する三人は、真剣にJr.のため製菓会社へクレームを申し立てるつもりなのか、ターンテーブルで卓上会議でも開始するかの威勢だった。
「くくっ」
 一人椅子の背に凭れ掛かり、円卓の外から彼等を眺めていたJr.は、心底可笑しそうに笑い声を噛み殺した。小さな身体が椅子ごと危うく揺れ、あまりの勢いで軽く咳き込む。
「お前等、マジになり過ぎ。こんなもん、単なる口直しだろ。気にすんなって」
 引き笑いのまま息を整えるJr.を、彼等は不服そうな面持ちで見返した。
「せやけど」
「ですが」
「だがJr.、サービスというものは――」
「じいさん、勘定!」
 三人同時に放った言葉の内、小言へ連接されそうなガイナンの低音に、Jr.は自分の陽気な声を被覆する。「はいよ、坊ちゃん」と声を張り上げる厨房からの返事に、三人は渋々ながらも席を立ち始めた。
 姉妹には外で待つよう伝えたJr.は、店主にカードを差し出そうとするガイナンを制し、
「……ったく、お前は。半日オフの時くらい脳ミソ休ませろ。その顔でハゲられても笑えねぇぜ」
 と苦笑しながら、自分の財布を取り出した。
 Jr.行き付けの店で中華料理を満喫した四人は、ダウンタウンの路地裏からメインストリートへショッピングに繰り出した。コロニーの中央を見れば真っ赤なデュランダルが屹立しており、摩天楼の体躯をディスプレイとして広告塔の役割を果たしている。クリスマス・イブからニューイヤーにかけては連夜ライトアップされ、湖畔や区画のイルミネーションと相俟って観光客を喜ばせていたものだ。
 予報では雪が降ると伝えられた天蓋は一面蒼く、人口太陽の照射は冬の冷気を影に追いやるほど暖かかった。羽織ったロングコートを重く感じるJr.だが、新年の賑わいと活気を見せる往来の中、メリィとシェリィがウィンドウに顔を寄せてはしゃぐ姿を眺めていると、荒んだ心も多少は和らいだ。何事も皮肉る癖は良くない。年に一度の祭日くらい心穏やかに過ごすべきだと、深呼吸をする。
 道行く人々の会話や店先から聴こえる音楽に耳を傾け、人混みの奥に色とりどりの風船を見つけた時、Jr.はふと隣を歩くガイナンに疑問が湧いた。
「なあ、お前のクッキーはどうだった?」
 姉妹を見守るガイナンの視線が、Jr.へ落とされる。暫しの沈黙を置いた後、彼は呟くように口を開いた。
「共に生きよう」
「……は?」
 間の抜けた兄の促しに、ガイナンはスーツの胸元から紙片を取り出した。訝しむJr.へそれを手渡す。

『共に生きよう! 愛し合おう! 僕等の心の奥にある一番の秘密を共有しよう!』

「へえ、美しい理想じゃねぇの」
 紙面の文字を読み、皮肉めいた口調でJr.は紙片をガイナンに返そうとした。しかし、ガイナンは紙片の端を掴むJr.の親指を横へずらすと、「最後まで読んでみろ」と視線で促す。親指の下に隠れていた面をよくよく見てみれば、先程の文面に続く小さな文字が並んでいた。

『――じゃあ、まず君から』

「ま、現実はこんなもんだよな」
 こちらの方が遥かに自然だと、Jr.は諦念の声音で嘆息する。改めて彼から紙片を返されたガイナンも、「ああ」と短く肯定した。
 吐息の白さが陽の温もりと相反するぎこちなさに、二人は揃って寒空を仰ぐ。それだけで、周囲を取り巻く人々の賑わいも、様々な場所から届く入り雑じった街の匂いも、まるでどこか遠い星の出来事のように思えるから不思議なものだ。心身の肌寒さに、Jr.はくん、と鼻を鳴らした。
「ちび様、ほらほら! 風船もろうたで!」
「キャンディ・アップルやストロベリー・ファッジもありますよ」
 いつの間にかストリートの遠方へ移動していた姉妹から、楽しそうな呼び声が届いた。メリィの手には七色の風船、シェリィの手にはコーティングを施した棒付きのリンゴと、淡いピンク色のキャンディが握られている。Jr.は「あー、はいはい」と肩を竦め、子供の姿で風船と菓子を抱えた自分を想像すると、その馬鹿らしさに自嘲した。
 隣のガイナンは占い紙を丸め込み、長く骨張った指で自分の口へと放り込む。
「ん、甘いな」
「当たり前だ。その文面なら」
 スミレの砂糖漬けより甘いだろうよ、とJr.は真顔で告げた。そんな彼の赤い旋毛を、ガイナンは唇を舐めながら見下ろす。隣同士で歩いていても、Jr.が正面を向いている場合、ガイナンからその表情は窺えない。それはJr.からガイナンを見上げる際にも、同じことが言えた。
「本当は何が書いてあったんだ? Jr.」
 グリーンの眼に労わりを塗り、ガイナンが静やかに問う。
「言ったろ、白紙さ」
 素っ気なく答えたJr.は、ガイナンを置き去りに一人歩き出した。彼という風除けがなくなり、冬の木枯らしがコートをなびかせる。Jr.がその中へ悴む手を突っ込むと、自分の引いた紙片が指先に触れた。
 予報外れの晴天が広がる中、Jr.は白紙の未来をその澄んだ冬空へかざし、青空と同じ色の瞳を細める。連立するビルの壁に切り取られた四角い空から、ファウンデーションの人口太陽が連続する虹色の輪を反射させた。
「でもま、当たってら」
 かざした紙片を鼻先まで近付けると、現実の景色は辿れなくなる。視界一面を彩るものに魅入ることで、あの日の“彼”のカウントダウンがJr.の口元を過ぎった。

「3...」

 帰るはずのない過去だ。行くはずのない未来だ。だから、夢を見る。それでも、磨り減る数字が淡々と終末を刻めば、あの日の情景へと辿り着けるかもしれない。余りある今を元通りに修正したいと願う、愚かな自分がそこにいた。

「2...」

 こんな自分の行く先に待つものは、悔恨の赤でもなく、断罪の黒でもなく、この紙片と同じ色だろう。
 それはまるで、砂糖漬けの菓子のように甘ったるく――、

「1...」


 泣けるほどに、真っ白な世界だ。